2021-05-11
何ひとつ、参考にできる部分があるとは思いませんでした。
やっぱり違う人は最初っから違うんだなぁ〜、としか思えませんでした。
ちなみに、彼女はその日の数時間で、世界の全歴史をひとまず最後まで読み終えていました。
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・・・時は過ぎ、3年生の12月を迎えていました。
私は、理系クラスであったにもかかわらず、
@国語が超得意科目になっていたこと
A高校2年くらいから、担当教師のせいでどんどん数学嫌いになっていったこと
以上の理由から、3年の夏休み頃に、理系クラスに在籍したまま、文系への転向を決めていました。
受験科目は、私大受験でいうと「英・国・数」です。選択科目は数学です。
腐っても理系なんだから、やっぱり選択科目は数学でしょ、というノリです。
しかし、よくよく考えてみれば分かることですが、数学アレルギーを発症したせいで文系に転向した私が、数学選択を維持することには最初から無理・矛盾がありました。
そもそも、勉強という勉強を人生でほとんどしてこなかった私です
それでなくてもやらないのに、更に輪をかけて「嫌い」まで付いてくる数学(=文系数学)の成績が上がるはずもなく、12月を迎えても偏差値は40台のまま「安定」していました(ちなみに英語も40台でした)。
叫び 「やばい・・・このままでは大学に行けない・・・」
焦りだけは最高潮に達していた私は(※勉強しない人ほど焦る←受験あるある)、12月の半ばになって、つまりセンターまであと1ヶ月という時期になって、突如、私大受験の選択科目を数学から世界史に変更することにしたのです。
世界史はそれまでほぼ勉強したことがありませんでした。もちろん、教材も持っていませんでした。
そこで、当時受験生の間で定評があった山川出版の世界史の教科書を急いで買ってきて、とにかくそれだけに絞って勉強していくことにしました。
多くの受験生が持っていた教材、用語集・歴史地図・人名事典・過去問集・問題集・一問一答etc…、そういった参考書の類は一切ありませんでした。文字通り、山川世界史一本勝負です。
やり方はシンプルで、まずひと回し目に人名に赤マーク、その他の主要な事柄には黄マークをしました。そして、あとはひたすら繰り返し教科書を読んでいくだけという単細胞な方法です。
もう、それしかする時間がなかったのです。
周りの受験生は、一問一答を解いたり、用語集を参照したり、模試を受けたり、様々な教材を使って様々な勉強をしていましたが、私にはそんな余裕は全くありませんでした。山川世界史で手一杯、というより、それ以外の教材を勉強する時間自体がありませんでした。
勉強方法の点でも、当時の私は和田秀樹の名前すら知りませんでした。
勉強には方法があるなんてこと自体を知りませんでした。
当時の私は、勉強とは才能と努力のみでするものだとしか考えていませんでした。
何らかの形で勉強を工夫してみようなんて発想がでてるく余地は、どこにもありませんでした。
このように、当時の私には、教材という選択肢も、勉強法という選択肢も、どちらもありませんでした。
できることといえば、ただ闇雲に焦ること。それしか選択肢がなかったのです。
ただひたすら焦って、山川世界史一冊と心中する。
これが当時の私にできたすべてでした。
ともあれ、センターまでの1ヵ月間、闇雲ながらも怠け者の割には結構頑張ったと思います。
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